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『青淵』という雅号の由来と名付け


 

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渋沢栄一は青淵という雅号があります。文字通り捉えると、「とても深い青い色の川」という意味です。その由来、誰が名付けたのかを紹介します。

青淵の由来

青淵という雅号は、意外とシンプルな由来です。故事や古書から引用したという訳ではなく、栄一が住んでいた家の場所から由来しています。

栄一の住んでいた場所は武蔵国の榛沢郡血洗島村で、栄一の家のすぐそばには淵(川の深いところ)がありました。栄一は自分の家を淵上小屋*1と名付けて、自作の詩の中に「淵上小屋」と記して通称としていました。

当時の栄一は、軍記物の小説にハマっていた文学少年で、自分の身の回りにかっこいいあだ名を付けてみたかった年頃だったのかもしれません。とにかく、青淵という雅号は淵上小屋と呼ばれた自分の家の場所から由来しています。

 

青淵は誰が名付けた?

ところで、青淵という雅号の名付けについては経緯が2つあります。

  • 尾高惇忠が名付けた
  • 栄一自身が名付けた

どちらも栄一自身が語っています。

 

尾高惇忠が名付けた

『雨夜譚会談話筆記』では、栄一が18歳の時に「藍香先生(尾高惇忠)からつけてもらった」とあります。

先生「青淵と云ふ私の号は、私が十八才頃、藍香先生から附けて貰つた。当時私の家の下に淵があつて、その関係から私の家を淵上小屋と名附けてゐた。それから青淵と云ふ号が出来たのである」

―雨夜譚会談話筆記 下・742~744ページ

従兄弟の尾高惇忠は、村では若い学者として名高く、色々な知識を有していました。惇忠自身、号を藍香としており、という字から連想し、教え子である栄一の号を青淵としたと考えられます。藍という字の意味は「濃い青」ですから、藍という字を言い換えて青淵(深い青)という言葉を考えたのは納得できます。

惇忠は私塾で多くの塾生に教えていましたが、自分の号の意味に近い言葉を、まだ若かった栄一に選んだということは、惇忠が栄一に並々ならぬ期待をしていたとも言えるでしょう。

 

栄一自身が名付けた

一方、『竜門雑誌』では、16歳の時に自分で名付けたと語っています。

十六の時自分ではじめて、『青淵』と号をつけた。

―竜門雑誌 第304号・40~42ページ

竜門雑誌は竜門社(渋沢栄一記念財団の前身、1886年~2003年)が1886年から1944年までに発刊していた雑誌です。その中で故郷の事を渋沢栄一自身が語っています。

 

栄一が、家業である藍玉の製造を手伝っている夏の昼過ぎのこと。作業で汚れた手を川で洗っていると、機織り機の音・糸釜の煙・いっぱいに広がる桑の葉(血洗島村では養蚕も盛んだった)、その先には赤城山・榛名山・妙義山、更に先には浅間山といった荘厳な山々が見えていました。この自然豊かな故郷の中で、大人君子の心の様に綺麗に澄んでいる川が、あくせくと働く栄一の心を慰めてくれるように思え、その時に自分の号を「青淵」と名付けたと言います。

 

結局、どっちが名付けたの?

『雨夜譚会談話筆記』と『竜門雑誌』はどちらも渋沢栄一が語っています。しかし、青淵の名付けに関する経緯が異なります。

『竜門雑誌』で青淵について語られているのが1913年(大正2年)9月、『雨夜譚会談話筆記』で青淵について語られているのが1927年(昭和2年)11月です。『竜門雑誌』の方が先で、『雨夜譚会談話筆記』が後です。青淵に関する最新情報と言った観点の場合、『雨夜譚会談話筆記』で語られた「尾高惇忠が名付けた」説が正しいということになります。

 

渋沢栄一記念財団の見解

渋沢栄一記念財団は青淵の由来について、「尾高惇忠が名付けた」ということを回答しています。

www.shibusawa.or.jp

つまり『雨夜譚会談話筆記』の内容を支持するということになります。しかし、『竜門雑誌』は渋沢栄一記念財団の前身である竜門社が発刊していたものです。そうなると、渋沢栄一記念財団は、竜門社時代に発刊していた雑誌を否定することになりますが、「渋沢栄一が後年に語った『雨夜譚会談話筆記』の方が、最新の情報である」という解釈なのかもしれません。

 

栄一と尾高惇忠の関係

次に、栄一と尾高惇忠の関係を紐解について。栄一は終生に渡り、ずっと、尾高惇忠に全幅の信頼を置いていたとは限りません。栄一が後年、尾高惇忠の才能を見込んで第一国立銀行に入ってもらいますが、無担保で貸し付けて焦げ付き騒ぎを起こすなど、栄一の期待を裏切っています。尾高惇忠は、学者としての才能はありましたが、経営者の才能はイマイチだった様です。

 

流石に、無担保で貸し付けて焦げ付き騒ぎなんてことは、銀行のブランディングと信用が失墜するので、どれだけ師と仰いでいた尾高惇忠であっても、「残念でしたね」で済まないでしょう。一時的にせよ、尾高惇忠に対して信頼が揺らいでいた時期があったのであれば、『竜門雑誌』で自分が青淵と名付けたと語るのは合点がいきます。

もしくは、銀行での不名誉を残してしまった尾高惇忠を、表に出さない様にする配慮があったのかもしれません。後年になり、世間のほとぼりが冷めたと見計らって、『雨夜譚会談話筆記』で尾高惇忠が名付けたと語ることが出来た、とも考えられます。

 

編集後記

青淵という渋沢栄一の雅号は、名づけの経緯が2つあるにせよ、由来についてはほとんど変わりがありません。故郷や実家のことから連想して、青淵という雅号が付けられ、渋沢栄一が終生、この雅号を用いることになりました。

もし、渋沢栄一と尾高惇忠の師弟関係を美談っぽく残したいのであれば、尾高惇忠が青淵と名付けたという話を用いたほうが、ウケが良いかもしれませんね。

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参考資料

第1巻(DK010001k)本文|デジタル版『渋沢栄一伝記資料』|渋沢栄一|公益財団法人渋沢栄一記念財団

『父 渋沢栄一』(実業之日本社文庫)

『渋沢栄一』(人物叢書)

2021年放送の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一。当サイトでは、放送されるエピソードの他、放送されないエピソードも執筆しています!是非、大河ドラマと合わせてお楽しみください!

*1:実際に家の真下に川あったわけではなく、家の後方(裏側)に川があった。