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【野球】二軍の帝王とは?

二軍の帝王とは、プロ野球の二軍の試合では素晴らしい成績を残すが、一軍では残念な成績の選手。

二軍で好成績なのだが、一軍では残念な成績で二軍に戻ってしまい、また二軍で好成績を残して一軍に上がるが…ということを繰り返し、結果的に二軍で過ごすことが多い。

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二軍の帝王とは

二軍の帝王とは、プロ野球の二軍では好成績を残すも、一軍では結果を残せない選手のことです。

二軍での成績が良ければ一軍から声がかかるのですが、一軍では全く結果が出せない場合(投手なら炎上、野手なら全く打てない)、二軍に落とされてしまいます。

ところが、二軍に落とされたら好成績を残し、再び一軍から声がかかりますが、一軍では通用しないため二軍に落とされ、再び二軍で好成績を残す…ということを繰り返しているうちに、二軍でのシーズン成績が素晴らしい状態になります。

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二軍の帝王の例

投手・野手共に二軍の帝王がいつの時代でも存在しますが、ここでは非常に印象に残る二軍の帝王を紹介します。

大森剛

元巨人(1990~1998)・元近鉄バファローズ(1998~1999)。元祖・二軍の帝王

ドラフト会議で「高校生より下の指名なんて受けない」という名言(迷言?)を残したり、ヤクルトのテリー・ブロスが完全試合を達成しようという試合で死球になり、ノーヒット・ノーランにするなど、色々と持っている選手でもあった(ここで大森がデッドボールじゃなければ、槙原寛己の完全試合ネタの価値が下がっていたかもしれない)。

鳴り物入りのドラフト1位は、1992年に本塁打王と打点王の二冠1993年に本塁打王1996年に本塁打王と打点王の二冠を達成する(ただし、全てイースタン・リーグ)。

 

一軍ではパッとしない成績であったが、1996年のセ・リーグ優勝を決めた試合で本塁打を打ったり、同年のオリックス・ブルーウェーブとの日本シリーズ第1戦で9回裏に代打同点本塁打を打ったりするなど、印象に残る活躍をたまにしていた。

しかし、1997年にトレードで近鉄バファローズに移籍し、1998年に引退。

その後は巨人のスカウトとして坂本勇人を高校2年の頃からのマークしていたりするなど、巨人の若手育成路線への切り替えの立役者としても名高い。現在は統括スカウト兼国際部課長として活躍している。

コーリー・ポール

元西武ライオンズ(1999~2001)。

1998年の西武ライオンズはリーグ優勝したものの、ドミンゴ・マルティネスの守備と走塁が残念過ぎるため日本シリーズではマルティネスを外して2年連続で敗退。

代わりに連れて来たアーキー・シアンフロッコ*1、グレッグ・ブロッサー*2、アラン・ジンター*3が全く期待に応えられず、急遽、台湾から獲得した。

シーズン途中から加入し、59試合で打率.257 12本塁打 29打点とそこそこの活躍をするも、2000年に獲得したカブレラとマクレーンの活躍により二軍に幽閉。

 

そして二軍では2000年と2001年に2年連続イースタン・リーグ三冠王という偉業を達成。しかし、一軍の成績は2000年に打率.242 4本塁打 18打点という期待外れの結果に終わり、2001年は一軍の出場無しに終わっている。

外国人選手が二軍で塩漬けにされた場合、さっさと移籍してしまうのがよくある話だが、何故か2年間も二軍で頑張って野球をしていたのは逆に凄い。

迎祐一郎

元オリックス(2000~2010)・元広島東洋カープ(2010~2014)。

ルーキーから着々と試合に出場し、それなりの実績を残す(ただし二軍)。

高卒ということもあり、二軍の下積み時代を経て、2002年から一軍出場するも、一軍ではパッとしない成績ですぐに二軍送りにされていた。

しかし、2007年に打率.342 14本塁打 62打点を記録し三冠王を達成し、オマケで長打率・二塁打・安打・得点もリーグトップ出塁率2位という好成績を残すもウェスタン・リーグである。

2010年に広島にトレードで移籍するも、一軍で結果を残すことが出来ず、2014年に引退しオリックスのコーチに就任している。

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*1:打率.163 2本塁打 5打点

*2:打率.077 3本塁打 9打点

*3:打率.202 8本塁打 28打点