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黒田官兵衛「お前、左手何してたん?」

官兵衛は大河ドラマ『軍師官兵衛』の主人公としても描かれていました。序盤はさわやかなイメージでしたが、荒木村重によって投獄され、家臣によって救出された後、徐々にブラックな部分が出てきました。大河ドラマでは、最終盤で野心剥き出しで、関ヶ原の九州方面での戦いでは九州を席巻して天下を目指しましたが、息子・長政の活躍もあり、その夢は途絶えてしまいます。

関ヶ原の本戦で大活躍した息子・長政が、官兵衛に関ヶ原の報告をした時の逸話です。

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「家康殿はどちらの手を握ったのだ」

1600年、関ヶ原の戦いで東軍についた黒田長政は、豊臣恩顧の大名をまとめあげ、西軍大名の裏切りの調略に奔走し、関ヶ原本戦でも黒田家は大きな戦果をあげました。関ヶ原での戦闘が終わり、長政は東軍の総大将・徳川家康に会いに行きます。

長政「家康殿、此度の戦の勝利、おめでとうござりまする。」

家康「いやいや、長政殿のご活躍があってこその勝利。本当に感謝していますぞ!」

こんな感じの会話があったのでしょう。家康は長政の手を握って感謝の気持ちを伝えました。後に黒田家に対して筑前国名島52万3,000石を与えていることからわかる通り、長政の活躍ぶりは家康も重々わかっていました。

関ヶ原の戦いが終わり、長政は領地に帰ります。長政は家康から褒められたことが嬉しくて、その話を官兵衛に自慢します。

長政「父上、家康殿にとても褒めて頂きました。」

官兵衛「そうであったか」

長政「それはとてもとても。私の手を握って褒めてくれたのです!」

長政は大活躍して家康に褒められたことを話して、父・官兵衛にも褒められると思ったのですが、官兵衛はとんでもないことを言います。

官兵衛「それで、家康殿はおぬし(長政)のどちらの手を握ったのだ?

長政「…(´・ω・`)?右手ですが…?」

官兵衛「そうか。それで、左手は何をしていたのだ?

長政「…(´・ω・`)」

官兵衛に褒めて貰えると思ったのに、長政は黙り込んでしまいます。

この時、官兵衛は「家康がお前の右手を握っていたのなら、左手で家康を差せるだろう。お前は何をしていたのだ。」と言っているのです。

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天下を狙った官兵衛、天下泰平を望んだ長政

関ヶ原の時、官兵衛は九州の西軍大名を迅速に征伐し、九州で旗揚げして上洛を目論んでいました。家康率いる東軍と激突するよりも、長政が家康を差して日本中が大混乱に陥っている時に、官兵衛率いる九州の大軍が日本を一気に統一していたかもしれません。しかし、関ヶ原本戦で息子・長政の大活躍もあって、九州征伐中の官兵衛は矛を収めました。

歴史に「もし」は禁物ですが、家康が長政の手を握った時、長政が家康を差していたら、天下の情勢はどうなっていたでしょうか。関ヶ原の本戦で東軍が辛くも勝ちましたが、東軍・西軍はともにボロボロ。全国各地で関ヶ原本戦とほぼ同時に戦が勃発しており、停戦調停を仕切る余力のある大名はいません。そうなると、際限のない戦いの日々を送る乱世に逆戻りになっていたかもしれません。

今回の話はあくまでも逸話です。ですが、官兵衛は天下を狙い、長政は天下の泰平を望んだのは事実です。