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社畜ゲートウェイ

京成・京急を中心に取り上げる阪急ファンのブログです。日本一遅い速報を届けます。


戦前の京成が手を出していた衝撃の副業

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鉄道会社の副業と言えば、百貨店経営や住宅開発、バスやタクシー、昭和の戦前戦後では鉄道会社がプロ野球球団を持ったり、物流や庶民のスーパーマーケット等、様々な副業に手を出しています。

当サイトで何度も取り上げている京成ですが、オリエンタルランドが副業として有名ですね。そんな京成、戦前には今では考えられないような衝撃的な副業に手を出していました。

 

本業は鉄道会社だが… 

京成電鉄は1909年に京成電気鉄道として創立しました。京成という名の通り、東京と成田を結ぶための鉄道として立ち上げられた鉄道会社です。

電力供給事業

京成電鉄は1911年7月27日に電力供給事業を開始します。鉄道事業開始が1912年なので、鉄道を走らせるよりも先に電力供給事業を行っています(正確には電灯電力供給)。市川に火力発電所を用意し、周辺エリアに電力供給を行います。

四ツ木にも変電所があり、そこでは東京電燈から受電して、京成創業当時の路線である現在の押上~江戸川、京成高砂~柴又に供給していました。

市川の火力発電所はやがて手放しますが、鬼怒川水力電気(後の小田急)から電力供給を受けて、供給エリアを拡大。市川から津田沼のエリアや、松戸あたりまで手掛けていました。しかし、京成の電力供給事業は長く続かず、戦時中の配電統制令により、1942年に関東配電(東京電力の前身)に吸収されます。

戦前に鉄道会社が電力事業を行うこと自体、珍しくはありませんでしたが、京成の電力供給事業、何故行われていたかと言うと、本業に必要なお金を稼ぐためです。ちなみに、電力で稼いだお金は、京成上野駅までの路線建設にほとんど費やした模様。

 

食品事業

1936年12月、京成電鉄は畜産加工工場を完成させます。建設事業でも始めたのかしら?と思いますが、始めたのはなんと食品事業。何故、こんなことをいきなり始めたのかというと、先述した電力事業が少し関わっています。

日暮里~京成上野間の難工事や昭和恐慌の影響で、京成の経営状況はかなりまずい状態でした。そこで、安定して収益を上げていた電力事業を拡大するために、東京電燈と交渉して、両社間の合意まで至りましたが、国から認可が下りず、電力事業拡大のお話は無かったことに。

それだけなら良いのですが、東京電燈からエリア譲渡の合意を受けた時点で(もちろん国からの認可が下りる前に)、電力事業の人員を増加し、事業拡大のための社債まで発行済。ただ、国からは認可が下りず、資金と人員が余剰になります。

事業資金をそのまま無配当で返すわけにもいきません。何よりも、不況時に人員を集めたのに何もせずに「もう仕事無いから」と言って契約を切ると、世間の評判が悪くなるため、どうにかして仕事を用意する必要もあります。この時、京成が下した決断は、食品事業を始めることでした。

話を戻しまして、京成が完成させた畜産加工工場では、もちろん精肉や加工肉の製造を行います。そして、作ったお肉を販売。ハム・ソーセージ・ベーコンなどを作って売っていました(「京成ハム」「京成ソーセージ」など)。しかもこれ、子会社の事業では無くて直営です。現在の千住大橋のガード下で「京成精肉市場」と看板を掲げて、お肉屋さんのお店を出していました。

尚、本業は鉄道会社の模様。

 

薬品事業

さらに京成の副業は続きます。ハムやソーセージを製造していた京成ですが、動物のお肉以外の部分も有効活用しようと試みます。つまり動物の臓器などを使おうということです。

少し話が逸れますが、ドイツの田舎では豚一頭をまるまる使って、越冬用の保存食を作る伝統があります。お肉はもちろん、内臓を全て使ってレバーにしますし、膀胱にペーストにしたお肉を詰めて茹でたりします。ドイツの歴史的な食糧事情によって、伝統的に目玉とヒヅメ以外は余すところなく食料に加工します。

京成も余すところなく使うのですが、お肉の部分はお肉にして加工し、内臓を薬品の材料として使ったのです。「京成胃腸薬」や「京成シミトール」*1を開発し、販売します。

繰り返しますが、本業は鉄道会社の模様。

 

副業のその後

電力事業は関東配電に吸収され、薬品事業は薬業整理統合令で消滅。食品事業の行方は不明ですが、恐らく戦時中の国家総動員法に基づく勅令で消滅したと考えられます。

その他の副業

もちろん、他の大手私鉄と同様に戦前の京成は他にも副業を展開しています。

1925年に京成遊園地という遊園地を開園しています。その為に船橋競馬場駅から線路を敷いて谷津支線を作ったほど。後に谷津遊園となりますが、東京ディズニーランドの経営に乗り出すために、黒字だった谷津遊園を1982年に閉園。一種の業態転換とも言えます。谷津遊園自体は消滅しましたが、現在は谷津バラ園として残っています。

また、1938年に帝都タクシーを始め、ようやく鉄道会社の副業らしくなります。帝都タクシーは現在も帝都自動車交通として存続。

1943年にはインドネシアのセベレス島(現・スラウェシ島)にセベレス開発鉄道を設立し、現地開発に乗り出しますが、戦況悪化により撤退。尚、現在はスラウェシ縦断鉄道が建設中。

 

編集後記

本業は鉄道会社ですが、鉄道経営のために、電力事業でお金を稼ぎ、その電力事業で先走ってしまい、資本と人員を食品事業に転換。そしてそこから薬品事業を生み出すという発想。綱渡りな感じもしますが、ある意味で機転を利かせた経営だったと言えるのではないでしょうか。

ちなみに、鉄道会社が食品と薬品を直営していたのは京成だけだそうで。

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*1:湿布薬と言われているが、塗り薬タイプの鎮痛剤。