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北条氏政「味噌汁足りない…かけなきゃ」氏康「(こりゃ、北条滅ぶわ…)」

毎日繰り返していることは、無意識のうちに行動してると言えます。朝起きて、顔を洗って、歯を磨いて…と言うことを意識的にする人は居ないと思います。しかし、毎日繰り返していることなのに、同じことが出来ないという人もいます。それは個人差があるので仕方がありません。

ただし、それは個人であって、一国の主、戦国大名となれば話が違います。今回の話の主役は、毎日味噌汁かけご飯を食べていた北条氏政さんです。

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二度汁かけご飯で後北条氏が滅んだ?

ある日の事。北条氏康・氏政親子が一緒に食事をしていました。

氏政「汁かけ飯は毎日食べても飽きないなあ。」

氏康「そうかそうか。」

仲のよさそうな親子の食事風景です。氏政は汁かけ飯が大好きなので頻繁に食べていたみたいです。氏康との食事でも汁かけ飯を食べていました。

氏政「ズズズ…ん?汁が足りないなあ。」(つぎ足す)

氏康「…」(眉をひそめる)

氏政「うまいうまい。」

そんな親子のやり取りを見ていた家臣たちは、氏康の変化に気が付き、食後に氏康に聞きました。

家臣「大殿(氏康の事)、先ほどの食事の場で、何かありました?」

氏康「あぁ、あれか。」

氏康が少し残念そうにしながら家臣に話します。

氏康「氏政は汁かけ飯をよく食べておるだろ?」

家臣「そうですが、それが何か?」

氏康「毎日の様に汁をかけて食べていれば、1回で汁をかける量なんぞ覚えるであろう?」

家臣「まぁ、そうでござりますな。」

氏康「あやつ(氏政)は、2度目の汁をかけおった。1度目の塩梅がわからんかった。そんなこともわからんのかと。わしは北条の行く末を憂いているのじゃ。」

毎日、汁かけ飯を食べているにも関わらず、1度目でちょうど良い汁の量が分からなかった氏政の姿を見て、氏康は北条の行く末は氏政の代で終わると悟ったのです。

そして1590年、豊臣秀吉による小田原征伐で後北条氏は滅亡、当時の後北条氏の当主は氏政の息子・氏直でしたが、後北条氏の実権を握っていたのは氏政です。汁かけ飯を一緒に食べた氏康の憂いが的中したという逸話です。

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逸話の教訓

この逸話ですが、現代でも通じる教訓にもなります。察しの良い方は分かると思いますが、失敗を何度も繰り返し、最後に取り返しのつかないことになるということです。

氏政は、毎日味噌汁かけご飯を食べているのにも関わらず、味噌汁をつぎ足しています。何度も同じことをやっているのに学んでいない、つまり、同じ失敗を何度も繰り返すということです。

あなたの周りに、同じ失敗を何回もして、ある日大きなミスをした人っていませんか?同じ書類を何度も書いているはずなのに、いつも同じ部分で間違え、とても大事な書類を書くときに、とんでもない間違いをして契約がご破算になってしまうという人。いつも遅刻を繰り返して、ある時の大事な海外出張で飛行機に乗り遅れる人。例を挙げればきりがありません。

大きな失敗をしないため、失敗したら何がいけなかったのか、同じ失敗をしないためにどの様な対策を打つべきなのか、ということを普段から実践することが大事です。

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実際の氏政の評価は?

ちなみに、氏政の名誉を守るために申し上げますと、氏政は優れた大名であったという説も多数あります。個人的にも氏政の業績は評価すべきところもあると考えています。

税を軽減し、広大な領地と家臣団をまとめあげており、上杉・武田・里見・佐竹などの大名とも互角以上に渡り合い、後北条氏の最大版図を築いています。氏政自身は勇猛な武将という武名はあまり聞きませんが、家臣団をまとめあげ、勢力拡大の業績は氏政の手腕です。暗愚な大名であれば家中分裂を招いているはずですから。

最終的に豊臣秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅んでしまいますが、後北条氏の目の前に豊臣オールスターズ軍20万が陣取っており、海上も封鎖されている状態です。これには勝てるわけがありません。

氏政は大河ドラマなどで、敵役に回ることが多いです。しかしこれは製作側の都合の話。滅亡することが分かっている氏政を主役とする内容よりも、天下統一を成し遂げた秀吉や、秀吉に追従した人物の方が数字が取れますからね。敗者の歴史作品で上手く描かれたのは、近年では真田丸くらいでしょうか(もっと他にもありますが割愛します)。