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信長「このまんじゅう食べてみ」荒木村重「…パクッ」

荒木村重は織田信長に対して謀反を起こし、1年近く有岡城で抗戦した後、単独で脱出、その後、名前を道糞と改めて茶人となり、出家して道薫と名乗った武将として有名です。

信長に謀反を起こしたということは、信長に臣従していた時期があります。どうやって信長に臣従したかというエピソードは、現代サラリーマンもびっくりのパフォーマンスで信長に認められたと逸話が残っています。

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突き刺された饅頭を食べる

荒木村重は摂津国を治めている大名でした。池田勝正の家臣として働いて、勝正の嫡子とされている池田長正の娘と結婚し、池田家の重臣として仕えていましたが、長正の長男・池田知正と三好家に寝返ります。知正に「勝正(父)を追放するように」と吹き込み、その混乱している池田家を掌握します。

摂津国内で勢力拡大のために戦を行っている村重の話を聞いた織田信長が村重を気に入り、村重は信長と対面することになります。その時、村重は信長にこう言います。

村重「摂津国は戦で荒れていますが、命令して下されば、命をかけてこれを鎮圧してみせましょうぞ。」

信長「…」

この時、信長は手元に会った饅頭を槍に突き刺して、村重の目の前に差し出してこう言います。

信長「(この突き刺さった饅頭を)食ってみろ」

無茶な話です。手元が狂ったと言われて刺されるかもしれません。しかし村重は、

村重「ありがたくいただきます」

といって、槍に突き刺さった饅頭を食べました。それを見た信長は大層面白がり、摂津国の鎮圧を村重に任せました。

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村重の剛胆さと臆病な性格を表現

これはあくまでも逸話です。槍ではなく刀に饅頭を突き刺したとも言われていますし、饅頭ではなく餅を突き刺したとも言われています。このエピソード、村重の性格を2つ表しています。

まず、村重の剛胆な性格です。信長に生殺与奪権を握られている状態で、村重は臆することなく饅頭を食べたことから、死を恐れることも無い剛胆な性格だったことを描いています。村重は下剋上で成り上がった城持ち武将ですので、肝が相当座っているはずです。死を恐れずに大胆なことをやってのける、戦国武将の強さを表現しているともいえるでしょう。

そして、もう一つが村重の臆病な性格です。当時の信長は足利義昭を奉じて上洛し、義明の室町幕府15代将軍就任に大きな功績を上げています。尾張・美濃を支配する畿内でも大きな力を持った大名ですから、三好寄りの村重が戦っても勝機はありません。饅頭のエピソードは「信長に歯向かえば殺される」と思った村重が、村重が出せる最大のパフォーマンスで応じた、とも考えられます。

後に信長に謀反を起こすキッカケになったエピソードは村重の臆病な性格を表現しているとも言えます。村重が天正6年(1578年)10月に謀反を起こしますが、明智光秀らに説得されて釈明のために信長の元に向かおうとします。しかし、村重は、中川清秀から「信長が家臣を疑ったら最後は滅ぼされる」と言われたので、やっぱり信長の元に行かずに自分の居城に戻ります。剛胆さが臆病さに勝っていれば、自分の死を恐れずに信長の元に行き、せめて家臣の命だけでも救うように嘆願していると思います。

また、後年に荒木道薫と名前を改めた理由も、村重が秀吉の悪口を言っていたことが秀吉の正妻・北政所の耳に入ったため、秀吉からの処刑を恐れて出家したとも言われているのです。

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サラリーマンの一気飲みに似ている?

村重の饅頭のエピソード、サラリーマンの一気飲み強要に似ていると思いませんか?パワハラ上司から一気飲みを強要され、逆らうと後で何をされるのか分からないため、無理をしてでも一気飲みをするというサラリーマン。経験がある人が多いと思います。一気飲みは大胆なイメージがありますが、上司に逆らえば、昇給やボーナス、後の出世にも響いてくると考えて、パワハラに甘んじる人が多いと思います。あなたが一気飲みすれば、後輩たちも巻き添え。パワハラ上司の一気飲み強要を断っても、戦国時代じゃないので命を落とすということはありません。剛胆な村重になって断るか、臆病な村重になって断るか、決めるのはあなた次第です。